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仏壇製造に適した能登の気候

七尾は仏壇産地としての気候風土にも恵まれていました。能登には原材料となるアテやヒバなどの木材が豊富にありましたし、湿度も漆塗りに適していたのです。
 さらに、七尾は古くから能登の政治、経済、文化の要所としての役割を果たしていたことから、販路拡大にも有利でした。
 能登地方も、加賀と同じく多くの人が浄土真宗を精神的基盤としており、農民や漁民らの厚い信仰心が仏壇の需要を支えてきたのです。

地理的条件を考えた丈夫な構造

七尾仏壇の特徴は、他に類を見ない堅牢な造りにあります。
七尾仏壇の堅牢さは、能登の地理的背景から生まれたものです。能登は山間部が多く、昔から交通が不便でした。従って、完成した仏壇は2人がかりで棒にぶら下げて担いだり、急な坂では1人で背負うなどして運搬しなくてはいけませんでした。このため、運搬に耐える頑丈な造りが七尾仏壇の必須条件だったのです。
堅牢さの秘密は、ほぞ(木材に彫ってある穴にはめこむために別の木材の端に作った突起)組みと言われる組み立て式にあります。しかも、鏡板(本尊、脇仏の後板)を2重にする「二重鏡板」という独自の製法によってより丈夫な構造になっています。

石川伝統工芸の技術を集結

漆塗りや金箔加工など石川の優れた工芸技術を駆使した装飾です。
主に能登の農民や漁民向けに製造された七尾仏壇は、典雅な雰囲気の金沢仏壇と比較して、より豪華さを強調した造りになっています。
金箔をふんだんに使った二重破風(はふ)屋根の荘厳な「中立(なかだち)(宮殿のこと)」が特色です。青貝をたっぷり使い気品のある色合いと立体感に満ちた蒔絵を施してあります。また、緻密で幽玄な趣のある障子戸の彫刻や輪島塗の流れをくむ漆塗りなどにより、圧倒的な華麗さを誇っています。
また、仏具として扱われる三卓(さんしょく)(花鋲(けびょう)、仏具を置く三つの台)を仏壇の付属品として作ることも七尾仏壇の特徴の一つです。

伝統ある七尾仏壇と職人たち、そしてぬのや仏壇

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七尾仏壇の起源

七尾仏壇の起源の年代は明らかではありません。しかし慶長18年(1613年)から元禄16年(1703年)までの現在の七尾の法令集の綴りである「所口町御定書等」(ところのくちまちおさだめがきとう)には塗師、彫刻師、蒔絵師、大工らの仏壇作成技術を持つ人たちの存在を裏付ける記述があります。

全国的に見ても17世紀半ばごろから仏壇が普及しはじめていますが、七尾においても18世紀初頭から後半にかけての製造年月日を作成者と併せて記入している仏壇がいくつか見つかっていて七尾仏壇の歴史の長さを示しています。

 

また、現存する七尾での仏壇業最古の書類は明治37年(1904年)の帳簿とされてますが、そこには「七尾町塗師業仲間」という名簿が載っており仏壇製造を生業とする人たちが多かったものと推察できます。

七尾仏壇ブランド

このような七尾仏壇の歴史と職人たちの伝統技術を受け伝え、昭和51年(1976年)には七尾仏壇協同組合が設立されました。組合の職人たちは日々切磋琢磨し、昭和53年(1978年)には七尾仏壇は国(当時の通商産業大臣)より伝統的工芸品に指定されました。更に平成18年には七尾仏壇は地域団体商標(いわゆる「地域ブランド」)にも登録され、益々その存在感を大きくしています。

ぬのや仏壇のあゆみ

ぬのや仏壇店は昭和10年(1935年)に初代 布 清太郎によって創業され、以来今日に至るまでの70有余年に亘って七尾仏壇を製作・修理・販売してきました。またその漆塗りと金箔貼りの技術を活かし、神輿や奉燈、獅子頭、お寺の内陣などの製作や修理等にも携わり、日本の伝統文化の継承に努めて参りました。今後もぬのやはお客様のご要望にお応えし、日本の伝統文化の継承と更なる発展に努めてまいります。

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七尾仏壇とは 北陸の地で生まれた伝統工芸品